私が先生に対して重大な関心を起したのは、あの海水浴の時からであった。海水浴から帰った夏休の一日、私は友達のところへ行って、彼等が先生の話をしているのを聞いた。彼等は先生に就いて、色々な推量をもって憶測しているらしかった。私は先生の顔を思い出して、なるほど彼等の云うとおりだと思った。というのは、先生は何となく他人の容易に説明出来ないものを身につけているからであった。
その日から、私は先生を避けるようになった。避けるというよりは、知ろうとする心がおのづから静かになって来たのであった。私はまだこの頃、先生に対して何の親しみも抱かなかったが、同時に何となく先生に惹かれるものを感じていた。学校が終わってから、彼の家の前を通ると、私は足を止めて、門の辺りを眺めることがよくあった。門扉の陰から、時々先生の姿が見える事があると、私の胸はきゅうとした。
先生は学校からの帰り道、私と同じ方向へ行くことが時々あった。ある時、一緒に歩いているうちに、彼は急に私に対して話し出した。彼の声はまるで以前にも聞いたことのあるような調子で、しかし却って私にとっては珍らしかった。彼は私に向って、世の中の些細な事柄に対しても、誠に冷淡な顔をしている君は可哀相だ、と言った。私はその言葉を聞いて、何となく恥かしい気がした。
彼はまた、家に来ないかと私を招いた。私は少し戸惑ったが、結局その招きに従うことにした。彼の家は私の家よりも幾分孤立していた。門を入ると、庭があって、その奥に小さい家が建っていた。家の中には、何となく古びた風があった。彼は私を坐敷に通して、一杯の茶を出してくれた。私はそれを飲みながら、じっと彼の面影を観察した。
彼は時々、遠くを眺めるような気取りで、無言のまま坐っていた。ふと何か思い出したように、彼は私に向って語り始めた。その語り方は、抑制があって、しかし内に熱い感情があるようであった。時には言葉を切り、時には間を置いて、彼は自分の考えを述べた。私はそれを聞きながら、自分でも気づかないうちに彼と親しくなって行くのを感じた。
それからの私は、ますます先生の家へ行くようになった。私は先生の私邸で多くの時間を過した。彼は私に対して、時には非常に率直に、時には妙に遠慮した態度を取った。私は彼の言葉の裏に何か深い意味があるように思った。彼は時として、人生の虚無について話し、また時として、過去について黙想することがあった。私はそのような彼の姿を見ていると、どことなく自分の胸の中にも同じような感情が芽生えるのを覚えた。
私は先生に対して、尊敬と同時に恐れのようなものを抱いていた。彼の笑いは時に冷ややかで、彼の沈黙は時に重苦しかった。私はそうした彼の性質を知るにつれて、彼が他人と交わるのを避けている理由を僅かに理解するようになった。私たちの間には、まだ言葉に表せない微妙な隔たりがあったが、それでも私は彼を離れ難く思った。