草枕

夏目漱石

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余は旅人である。旅人の仕事は諸国の風景をながめ、物の有様を見、体験してその感銘を心にとどめるのである。かかる仕事は狭い意味の職業とはいえない。しかし旅人は、如何なる職業よりも生活上の多くの雑事から解放されているという意味において、最も自由な職業である。旅人が一つの景色のうちに立ち止まって、そこに美を見出すのも、何かの実利を求めるためではない。かれはその場面に対して一時の感動を覚え、ただその感動のために立ち止まるのである。

吾人は俗事にまみれた日常の生活のなかで、しばしば美を見失う。美はただわれわれの眼の前に在るに拘わらず、我々の忙しさの中に埋もれてしまう。旅に出ることはこの埋没した美を掘り出し、かくて心を刷新するための手段である。草枕はその名の如く、草の上に臥してものを考えることを意味する。すなわち俗事を離れ、心を静めて物を見る態度を言うのである。

旅をする者は、しばしば孤独である。孤独は人をして内面的観察に導く。外界の音楽や光景は、孤独の中で初めて真の響きを持つ。旅人はこの響きに耳を傾け、また自らの胸に起る微妙な感動を材料として作品を作る。芸術家の仕事は他人のために利益を生むことではない。ただ自己の内部の調和を求めることである。

私はある小さな温泉町に滞在していた。そこには山水があり、古い樹があり、家々は素朴な造りであった。町の外れに出ると、田畑の緑が連なり、その向うに青い山が低く横たわっている。私はある朝、散歩に出かけて丘のうえに立った。そこから見る景色は、私の胸のうちに一種の静謐を呼び起した。何物もそれを乱すことはできないように思われた。

この静謐は俗世の務めから離れて得られる悦びである。人は日常においてしばしば怒り、焦燥し、また小さな利益を追って心を煩わす。しかし美の前にはこれらの感情は無意味である。真の美は、その存在によって我々の心を改め、細部を忘れさせる大きな力を持っている。故に我々は時々旅に出て、俗事を忘れ、ただ美を享受すべきである。

芸術と学問との相違はここにある。学問は事実を明らかにし、知識を積み上げる。芸術は事実の背後にある形と響きを捉え、感情を表現する。学問は世の利害を扱うが、芸術は個人の心のあり方に触れる。旅人は芸術のために旅をすることが出来る。彼は見るものを即座に評価せず、ただじっと眺めてその趣を心にとどめる。

私は或る画工に会った。彼は口数少なく、筆をとるときの態度が実に端正であった。彼は田舎の光景を何枚か描いていたが、それらの絵は決して世俗的な技巧に酔ってはいなかった。むしろ彼の描いたものには一種の沈黙があり、色も形も節度をわきまえていた。私は彼の絵を見て、しばらく言葉を失った。

画工は絵を描くとき、常に自分と対象との間に一種の距離を置いている。近づき過ぎると細部に拘泥して全体の調和を失う。遠ざかりすぎると情感が薄れて味気ないものになる。これが画工の常の心持である。彼はその中間にある微妙な位置を探り当てるために、時には長い時間を要する。

私はその夜、宿の窓から月を眺めた。月は静かに山の端にかかり、谷の霧は淡く光を帯びていた。すべてが静まり返っている。私は心の中に一種の確信を覚えた。美は外界にあると同時に我々の内にある。それは我々の感受性によって初めて姿を現すものである。故に我々は感受性を磨くために旅をし、心の枕を草の上に置くのである。