坊っちゃん

夏目 漱石

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私は坊っちゃんの事をいつも自分の事のように考えていた。いや、正直に言って、自分自身だとさえ思っていた。それが重大な誤りであったかどうかは別としても、少くとも私にはそう見えたのである。

或る日、私は自分の家の金魚を一匹殺してしまった。別に悪意からではなく、単に無頓着からであった。小さいときからの性質である。私の親がどんなに苦心して私を矯正しようとしたかは、今更述べるまでもない。しかし、私の性分は粘り強くて、どうしても治らぬらしかった。

金魚を殺したのは些細な出来事であるが、私には大変な事件のように思われた。その日、私は家へ帰って、こっそりと金魚鉢を覗いた。鉢の水はまだ澄んでいた。金魚は底に伏していた。私はそれを掬おうとしたが、指先に触れた途端、死骸がほろほろと壊れた。私ははっとし、思わず顔を背けた。

それから私はしばらく何をしてよいか分からず、座敷へ上ってしまった。母が茶を入れてくれたが、私はなかなか手をつけられなかった。結局、私は外へ出て、庭の片隅に穴を掘り、その金魚を埋めた。埋め終わって家へ戻ると、母は平然として私を見ていた。母のその態度は私を一層いらだたせた。

このような些細な事件が、結局私を坊っちゃんと呼ばれるような運命へ導くのかと考えると、人間の性質というものは面白いと思われる。私は東京で生れ育った。東京の下町の喧噪と、学校の教室の黒板の粉っぽさと、友達との喧嘩といったものが、私の性格を造ったのである。

東京の生活は合理的で、正直なところ気紛れを許さなかった。私は幼い頃から正義感が強かった。理不尽なことにはすぐ立ち向かう癖があり、それが理由で随分と人を怒らせた。しかし私はやめられなかった。それが私の「坊っちゃん」たる所以かもしれない。

最後に、私が教師になった経緯について話をして終りにしよう。私は大学を出た後、縁あって地方の中学校へ勤めることになった。東京を離れるということは私にとって重大な決心であった。だが、あの金魚の一件のように、人生には小さな事件が重なって大きな結果を生むものである。

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